冷戦末期ベルリンの壁崩壊と共に歌われた第九交響曲「歓喜の歌」 みゅう中欧 ブログ記事ページ

みゅう中欧 ブログ

<< 前のページ 次のページ >>

    冷戦末期ベルリンの壁崩壊と共に歌われた第九交響曲「歓喜の歌」


    2021-08-23

  • 19世紀初頭、ある交響曲が巨匠によって生まれました。この曲が歴史を変えたというと誇張になるかもしれませんが、しかしこの交響曲は現代でも受け継がれ、ヨーロッパの中心とともに存在しています。

    その交響曲とは第九交響曲で、この曲を生み出したのは音楽の巨匠ベートーベンです。この曲の中の第4楽章が実はEU(欧州連合)「欧州の歌」としてなっているのはご存知でしょうか?この交響曲とヨーロッパの繋がりについてお話ししたいと思います。 

    冷戦の終結に歌われた第九交響曲

    第九交響曲を作曲したベートーベン

    ベートーベンの代表作の一つである交響曲第9番第4楽章、通称「歓喜の歌」これは元々詩人シラーが1785年に依頼を受けたドレスデンのフリーメイソンの儀式のために書き上げられた「自由賛歌」(An die Freiheit)から来ています。

    シラーの詩に感激したベートーベンは元の詩に改稿を加えて、1824年に第九交響曲を完成させます。

    冷戦下のヨーロッパでこの曲に着目した人物がいます。その人の名はリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーです。元オーストリア=ハンガリー二重帝国の貴族でもあったクーデンホーフ=カレルギー家は第一次世界大戦の集結とともにオーストリア帝国の崩壊に伴い、チェコスロバキア共和国に帰属します。

    リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー 

    彼はウィーンで教育を受け、1914年にウィーン大学に入学し、後に同大学で哲学の博士号を取得しました。彼は第一次世界大戦後の1920年代という早い時期から「汎ヨーロッパ」運動を立ち上げて、ヨーロッパの統合を呼びかけました。この活動は一時期、一般市民から著名人まで様々な層から支持を集めたのです。

    200年の時を経て第九交響曲第4楽章は「欧州の歌」へ

    第二次世界大戦後の1955年にリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは欧州評議会の重役を歴任したPaul M. G. Lévyに「欧州の歌」を提案する手紙を送っています。

    この手紙で彼は「J'aimerais bien proposer la hymne de la 9àme symphonie comme hymne européenne(第九交響曲を欧州の国歌に提案したい)」と述べています。この手紙を受け取ったPaul M. G. Lévyは返事で「je crois que votre idée de proposer la 9ène symphonie est excellente(素晴らしい提案だ)」と賛意を示しています。

    そして200年後の1985年、冷戦の最中に欧州共同体(現在のEU)は第4楽章を「欧州の歌」と決議されました。これは各国の国歌を変えるものではなく、「欧州の歌」は、自由・平和・結束という、多様性のもと統合された欧州の理想を表すものでした。

    ベルリンの壁崩壊と第九交響曲

    ベルリンの壁が崩壊した1989年のクリスマス、ベルリンでは壁の崩壊を祝う、過去に類を見ない特別なコンサートが開かれます。演奏曲は「第九交響曲」。20世紀を代表する指揮者、ユダヤ系アメリカ人のレナード・バーンスタインを迎え、東西ドイツに加えてソ連やフランス、イギリスなど東西両陣営をオーケストラに加えるという、まさに歴史的転換点を象徴するコンサートでした。 

    このコンサートでは第4楽章の歌詞の「歓喜」を「自由」にして歌い上げたのは大変有名なエピソードです。バーンスタインはこの点についてパンフレット「自由への讃歌/バーンスタイン・イン・ベルリン」で以下のように記しています。

    「スコア(楽譜)に『よろこび』と記されている個所は、今こそ『自由』という言葉と置きかえて歌うべく、天から与えられた機会であるように思われてならない。

    人間の真の喜びのためには、学説の真偽を無視してよい歴史的な時点があるとすれば、今がそのときなのだ。

    そしてベートーヴェンはわたしたちのそのことをよろこんで許し、祝福してくれると思わずにいられない。自由よ、永遠に!」 

    ベルリンの壁崩壊と冷戦の終結、それはシラーが作り、ベートーベンが紡いだ歓喜の歌が200年の時を超えて「すべての人々は兄弟となる」の通り、東西ドイツのみならず東西ヨーロッパ諸国が一つの欧州として自由賛歌が高らかに謳われた時だったのです。

    こうして冷戦という分断の時代が20世紀末に終わり、新しい時代の幕開けは自由への賛歌とともに迎えられたのでした。

    第5回ヨーロッパ物語:冷戦の歩みから崩壊まで

    ヨーロッパは冷戦の最前線としてたくさんの犠牲を払ってきました。そして非常に重い犠牲と過去の教訓の上に現在のEUが立っています。私たちは普段目に見える形で歴史を意識することはあまりありません。綺麗な景色を持つ中東欧の街並みも、実はこの様な近代の歴史を有しています。 

    しかし今まで所謂ヨーロッパの西側にスポットライトを当てて話しましたが、冷戦下の東側諸国ではどのような動きがあったのでしょうか?西側が冷戦下で連帯を進めている間、東側ではたくさんの葛藤と苦悩がありました。

    そこで、ベルリンの壁が建設されてから60周年の今年、みゅうショップでは冷戦をテーマに冷戦時代の旧共産圏から3元生中継します!

    今回はハンガリー、チェコ、そしてドイツからガイドが各国の冷戦のお話を深掘りしていきます。

    ハンガリーからはブダペストにて生中継し、1956年のハンガリー動乱と1989年の汎ヨーロッパピクニックについてお話しします。共産党の締め付けが強かった50年代のハンガリー、そしてベルリンの壁崩壊の数ヶ月前、ハンガリーが冷戦の最前線となった汎ヨーロッパピクニックが起こります。この事件がベルリンの壁崩壊と繋がる遠因となったとも言われています。

    チェコはプラハから生中継。1968年のプラハの春と1989年のビロード革命を取り上げます。そしてチェコもハンガリーと同じようにソ連からの弾圧を1960年代に経験し、そして奇しくもベルリンの壁が崩壊した同89年、チェコも共産党政権を打倒したビロード革命が起きるのです。

    ドイツからはベルリンから、ガイドがベルリンの壁の建設と崩壊を生配信で解説していきます。

    東西冷戦の象徴的な街でかつ最前線であり続けた東ドイツベルリン。ベルリンの壁はいかにして建設され、そしてどのような経緯で崩壊したのでしょうか?オンラインツアーならではの国を超えたツアーを、ヨーロッパ3カ国をお繋ぎして各国から冷戦を語ってもらいます。冷戦という時代を、ガイドと一緒に日本人には馴染みがない旧共産圏という視点から巡ってみませんか?

    ぜひ下記の画像リンクより商品の詳細をご確認ください!


<< 前のページ ブログ記事一覧へ 次のページ >>

最新記事


カテゴリー

最新の記事