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    【マルタ島】エジプトのピラミッドよりも歴史が深い!?マルタ島の神殿に迫ります!


    2022-11-16

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    地中海の真ん中に位置するマルタ共和国マルタゴゾコミノの3つの島から成り面積は日本の淡路島の三分のニで人口は約44万5千人。

     

    紺碧の美しい海、たくさんの小さな入り江にはヨット、ボートが停泊するリゾート地として有名ですが、この小さな島々には新石器時代の巨石神殿が30以上もあるのです。

     

    (1)最も古い神殿はゴゾ島のジュガンティーヤ神殿で紀元前3600〜4000年ごろに巨人女神によって建設されたといわれている。

     

     

     

     

    (2) ハジャー. イム神殿(紀元前3600年〜2400年)

     

     

     

    (3)イム. ナイドラ神殿(紀元前3600〜2400年)

     

     

     

    (4) タルシーン神殿(紀元前3000年〜2500年)

     

     

    (5) ハル・サフリエニ・ハイポジウム(地下神殿)

      ( 紀元前3600年〜2500年)

     

     

     

    エジプトのピラミッドは紀元前2500年頃イギリスのストーンヘイジも紀元前2500年クレタ島のクノッソス神殿は紀元前1700年とこれらのものよりもマルタ島の神殿はもっと古いのですから驚きです。

     

    一体誰がこのような巨大な石の神殿を造ったのだろうか?

     

    マルタ島の歴史は紀元前5200年頃にシチリア島からやってきた人たちが住み始め、紀元前4100年頃に巨石文明を持つ新しい民族が西地中海全域にやってきた。 

     

    特にマルタ島でのこの文明の普及は著しいものがある。

     

    マルタ島の石灰岩は建築材料として適していたのだろう。

     

    建物は外側は風雨から守るために硬質の石灰岩で造られ(大きな石は10トン以上ある)内部は表面が滑らかで細工が容易なグロビエリアの石灰岩が使用され、石と石の間は砂と砂利が埋め込まれている。 

     

    内部の壁の装飾はオクラ色(黄土色)、赤色を使用。

     

    これらの色は復活のシンボルとされ死者にもこの色の粉が塗られた。

     

    神殿は多くの地中海文明の遺跡に見られる「地母神」を祀った神託を受ける場所であり、豊穣、多産、死に関係していた。

     

    人生の周期(生誕、死、復活)のシンボルであった。

     

    これらの神殿跡から「マルタのヴィーナス」「眠れるヴィーナス」などと呼ばれる多くの女神や巫女の像が発見された。

     

    何をもってヴィーナスと呼ぶのかというのは学術的な定義はないようだが、その像を又は絵を最初に見た時の印象で決めるのではないかと思う。

     

    「ヴィーナス」というとギリシャ神話の「美の女神」ミロのヴィーナスやルネッサンス時代の画家達が競って画いた美しいヴィーナスを想像するが20世紀初頭にハジャー.イム神殿から出土した偶像をみて考古学者達はこれこそ「新石器時代のヴィーナス」だと思ったに違いない。

     

    我々の知っているヴィーナスとはほど遠い印象だが非常に写実的に女性の肉体を表現している。

     

     

     

     

     

    他にもハイジャー・イム神殿からは小さな巫女(女神)像がたくさん発見されているがほとんどが頭部がなく首の部分に穴があいている。

     

    理由は定かではないが頭がすげ替えられていたのではないかと思われる。ローマの火を守るベスタの神殿の巫女のように,巫女が代わると首がすげ替えられたのかもしれない。

     

    全ての巫女たちの身体は豊満で(特に腰、足、腕)両腕を組んで座っている姿は仏陀のようでもあり恵比寿様、相撲の力士にも似ている。

     

     

     

     

    首都バレッタの近くにあるパオラの町のハル・サフリエニの地下神殿は豊穣の女神ハル・サフリエニに捧げられたが、7000体もの人骨が発見されたことから後に墓地として使用されていたのだと推測される。 

     

    ここから「眠るヴィーナス」と呼ばれる素晴らしい偶像が発見された。

     

    ソファーに横たわったヴィーナスの腰や腕が緩やかな曲線で誇張され、足首が見えるくらいのスカートをはいている。 

     

    腰や腕に比べると手や足は小さく可愛らしい。 

    髪の毛やスカートの模様など非常に洗練されていて優雅だ。

    紀元前3000年ごろに作られたものとはとても思えない。

     

    マルタ古代芸術の傑作だと思う。

     

     

     

    しかし、この巨石文明は紀元前2500年以降忽然と歴史の闇に消えてしまった。

     

    天変地異、飢餓、疫病? 何が起こったのかは謎に包まれている。

     

    青銅器時代(紀元前2000年〜1000年)には新しい民族が定住したが以前の文明とは全くかけ離れていたものだった。

     

    その後のマルタは地中海貿易の要所としてフェニキア、カルタゴ、ギリシャ、ローマ、イスラム、ノルマン、スペイン、フランス、イギリスと多くの民族や国の侵略、支配を受けようやく1974年にマルタ共和国として独立。

     

    このような複雑な歴史のもとでかつての巨石文明は忘れ去られてしまっていた。

     

    近年の発掘調査により数千年の時を越えてあきらかになりつつある。

     

    しかし、こんな素晴らしい巨石文明を築いた民族は一体どこに行ってしまったのだろうと考えつつマルタの町を歩いていて、もしかしてこのマルタのヴィーナス、巫女達のDNAを今のマルタ人の女性が受け継いでいるのではないかとふと思った。

     

    よくマルタの女性に「Fat Lady 」という言葉が使われるそうだ。 欧米の女性はふくよかな人は多いがマルタの女性は(みんなとは言わないが)

    巨石時代のヴィーナスや巫女のように腰ががっしりとして腕も太いがとても愛らしい感じがする。

     

     

     

     

    お土産に可愛いらしい巫女の像を買った。

     

    「マルタに繁栄あれ!」と偶像を撫ぜたら微笑みが湧いてきた。

     


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