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    【2022年イタリア観光】ロ-マ戦争博物館に行ってみた!


    2021-11-07

  • Buongiorno!

    イタリア政府公認旅サポート、マジカ⭐️イタリアの ケイティです。

     

    次回は南の旅へ!とお誘いしましたが未だロ-マに留まっています。

     

    開拓する場所がいっぱいでなかなか次の場所へ移動できないでいます。

     

    日本の皆様も早く旅行がしたーい!度が加速している事でしょう。

    旅したい病が早く癒える事を願っています。

     

    そんなわけで今日は「ロ-マはほとんど征服したよなあ-」という方へ。

     

    中国/南京大虐殺記念館、ベルリン/ユダヤ博物館、ポ-ランド/アウシュビッツ・ビルケナウ博物館、チェコ/共産主義博物館等々戦争の重さを伝える博物館は世界中に沢山あるのですがここロ-マにはロ-マ戦争博物館(museo della liberazione di roma)があります。

     

     

     

     

    場所はSan Giovanni in Laterano教会の近くのvia Tasso 145番地。

    更にこの通りを上りつめるとネロ皇帝時代の水道橋も28段の聖なる階段のあるscala santa教会に隣接して残っているので本当に観るものがいっぱいです。

     

     

    お買い得、なんです。

     

    これだけの遺跡、戦争時のドキュメント、写真を見てイヤホンでの説明付きで、なんとチケットは無料です。

    れを見学した後は自然とお心づけを残したい気持ちになります。

     

    この建物は昔Lancellottiという貴族の持ち物であり後にドイツ大使館となりました。

     

    1943年9月から1944年の6月まで(その頃のイタリアはムッソリ-ニ失脚後バドリオ政権が連合軍との休戦協定を発表、ドイツに対して宣戦布告。

     

    無防備となったロ-マをドイツ軍が支配している時期)ナチス・ドイツの親衛隊(SS)内部の情報部があった所。

     

    1944年1月からはドイツ・ナチス統治下カプラ-(ロ-マのゲシュタボ長官)指揮の下2000人の市民、パルチザン、反ファシスト、ユダヤ人、連合軍、ジャ-ナリスト、教師達が尋問、拷問を受けた監獄として使用されました。

     

    更にその後ここからは1944年3月24日のアルデアティ-ナの虐殺に連行されています。

     

    このアルデアティ-ナの大虐殺とその原因となったラセッラ通りの爆破事件については後日書きますね。

     

    彼らが入れられていた各牢屋にはナンバ-が残り写真、ドキュメントが展示され落書きが残っています。

     

    視感で確認したい方にはRossellini監督の戦時下の人間ドラマとしての

    *Roma citta‘ aperta*

    無防備都市をお勧めします。

     

    尚、このカプラ-はロ-マ解放後戦犯としてイタリアに引き渡され軍事裁判にかけられ終身刑に処されます、が、彼の病院からのまるでドラマのような逃亡劇は後日に。

     

     

    収容された1人にGiuseppe Cordero Lanza di Montezemoloというパドリオ首相より信頼を受け非公式の軍隊を率いて名前を何回も変え地下組織で活躍していた大佐がいます。

     

    窓はレンガで塗られほぼ暗い部屋で58日間、歯を抜かれる様な拷問を受けても同僚の為に決して組織の秘密を漏らさず、耐えていましたがアルデアティ-ナの虐殺で銃殺されてしまいます。

    部屋にはアルデアティ-ナでの銃殺後の遺品、10/09/43にドイツ戦線を超える為に使用した旗、偽名の身分証明書等が展示されています。

     

     

    彼はこの景色を見れなかったんだろうなと思って今はレンガの壁が剝がされたガラス越しに中庭を見ると今度は古代ロ-マ帝国時代の皇帝を警護する騎馬部隊の要塞(野営地)の後も残っていました。

     

     

    独房へ行くと壁に書かれた彼らの遺言に近い言葉が残っています。

     

    E‘ facile saper vivere  grande  saper morire. 

    生きる事は簡単だが死を理解する事は崇高である。

     

     

    La morte e` brutta per chi la tema.

    死を恐れる人にとっては死は辛い事である。

     

    Meglio morire eroicamente a venti anni, che di vecchiezza a cento. 

    100歳の老齢で死ぬよりは20歳で英雄的に死ぬ方が良い。

     

    L‘ultimo speranza non e’perduta . Forse la vita e`salva abbiate fede.

    最後の希望が無くなったわけじゃない。命は救われるかもしれない。信仰を持って。

     

    最後に同志と自由の為に死にゆくパルチザンの青年兵士が母親へのメッセ-ジをパンに書いた写真です。

     

     

    Mamma Corraggio !!  マンマ、元気をだしてね !!

     

    戦争の悲劇はどーんと重い。

    重いという言葉がもう薄っぺらいものにしかならない思いで博物館を出ました。

     

    A presto!


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