フランス王が祈りを捧げた、ルーブル礼拝堂 みゅうパリ ブログ記事ページ

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    フランス王が祈りを捧げた、ルーブル礼拝堂


    2020-10-21

  • 世界一の観光者数を誇るパリのルーブル美術館が、かつては歴代のフランス王が住むフランス王宮だったのは有名な話です。1546年のフランソワ1世にはじまり、1682年ルイ14世がベルサイユ宮殿に遷宮しますが、その後もナポレオン1世、ナポレオン3世もこのルーブル宮を公式な政庁として使用してきました。

     

    ルーブル宮殿に住むフランス王が祈りを捧げてきた礼拝堂が、北はサントノーレ通り、南はリヴォリ通りに挟まれた場所にあります。

     

    ルーブル礼拝堂は、カトリック信者が多数を占めるフランスではめずらしい、プロテスタント教会として建設された歴史があります。

     

    フランスではカトリックとプロテスタントが長らく対立し、宗教戦争(ユグノー戦争)を繰り返してきましたが、1598年、アンリ4世が、プロテスタント信仰を認める法令を出し、ユグノー戦争は終結を迎えます。このルーブル礼拝堂は、1616年プロテスタント教会として建設されました。
    しかし1624年、ルイ13世が、自分の住まいの近くにあったこの教会を王国礼拝堂として使用することに決め、本来のプロテスタント教会としての役割はなくなりました。さすがフランス王、強引です。

     

     

    ルーブル宮殿から礼拝堂にくる王たちは、地上階ではなく、この2階部分を通って祈りにきていたそうです。

     

     

    ルーブル礼拝堂が再度プロテスタント教会として再建されたのは1811年。1789年フランス革命により王政が崩壊したためです。教会内陣の外側には、ガスパール・ド・コリニー提督の彫刻が勇ましく建っております。ガスパール・ド・コリニー提督とは、プロテスタント派の闘将としてユグノー戦争を戦ったが、1572年サン・バルテルミの虐殺で殺害されました。プロテスタント派の英雄として、ルーブル礼拝堂正面に堂々と君臨してますね

     

     

     

    1678年の聖書。

     

     

    Eglise Reformée de l'Oratoire du Louvre
    145 rue Saint-Honoré 75001 Paris

    (城)


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