美術コラム:コレクターとしてのモネ展@マルモッタン美術館 みゅうパリ ブログ記事ページ

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    美術コラム:コレクターとしてのモネ展@マルモッタン美術館


    2017-11-06

  • 2018年1月14日までマルモッタン美術館で開催中の企画展、「コレクターとしてのモネ展」に行ってきました。

    モネが持っていたルノワールの作品。

    この展示会は、タイトルの通りコレクターとしてのモネに焦点を当てた展示会です。モネは彼自身が印象派を代表する画家だっただけでなく、同時代を代表する画家たちのコレクターとしても秀逸な作品を持っていました。

    モネは、駆け出しの頃、画塾でバジール、ルノワールと同僚になり、彼らと作品を交換しています。ルノワールは、モネとその妻カミーユの肖像画を最も手掛けた画家でもあり、この二つの肖像画を対のセットとして、モネに贈ったのだそうです。

    読書をするモネとその妻のカミーユ

    モネはこの2枚をバラバラにせず、同じ額縁に入れていたそうです。

    ルノワールがモネのうちに突然やってきて、庭にいたカミーユと息子ジャンを描きはじめた。ひと段落すると、ポーズをとってくれたお礼として、この絵をモネに贈った、というエピソードとともに紹介されている絵画。

    先輩格のマネとも親交を結びます。マネ作。モネと妻のカミーユがアトリエ船に乗っているところ。

    カミーユと一緒のモネの肖像画を描くのに成功したのは、マネが唯一だそうです。モネの表情は、まだ準備段階にとどまっています。マネはおそらくモネの家に作品を置いたままにしておき、次に立ち寄った機会に作品を完成させようとしていたのでしょうが、作品は完成されることがなかったので、この未完成の形で残っています。

    こちらはカミーユ・ピサロの絵画。

    1892年、モネの古い友人カミーユピサロとその妻ジュリーはモネに15000フランを貸してほしいと頼みます。家の購入資金でした。モネは、1890年代(モネ50歳代)より、収入はかつてとは比べ物にならないほどに上昇していたので、資金的に助けることを承諾しました。その際、借金の担保としてモネに渡されたのが、この絵画。『ポールを地面に植える農家の女性』。当時、ピサロの最高傑作といわれた作品でした。ピサロ達が全部借金を返し終わった後、この絵画は感謝の意を示すために、ピサロからモネに贈られたそうです。

    印象派と呼ばれる画家でも、モネとは全く違う絵画技法を追求したセザンヌもモネが買い集めた画家のひとりでした。

     

    セザンヌが晩年追求した「水浴」の一枚。

    親しくはなくとも、互いに常に尊敬しあっていた仲だとか。

    このほか、モネの人格がにじみ出てくるようなエピソードとともに、作品が展示してあります

    これら、モネの持っていたコレクションは、ジベルニーの自宅に飾られていたものです。ジベルニーのモネの家をすでに訪れた方は、モネのアトリエには壁一面に絵画が飾ってあったことを思い出すはず。

    コレクションは、モネの死後、唯一の相続人であったミッシェル・モネの所有になり、その後販売されてしまったので散逸してしまいました。その際に売れ残った作品が、国家遺贈となり、今現在マルモッタン美術館の常設展の元になっています。相続の際に作成された目録は、大戦時に焼失したため、今回モネのコレクションの作品群を再構成するのは非常に時間と労力がかかったそうです。

    彼の絵画を見ているだけでは見えてこない一面が見えてくる、そんな企画展です。

    モネファンは必見です。

    (渦)

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