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    バルザックの家にいってきました


    2020-10-12

  • バルザックの家に行ってきました。

    パッシーの丘の上にあり、注意していないと見逃してしまいそうな場所。

    入場無料で見学することができます。

     

    バルザックという名前は知っていましたが、恥ずかしながら、小説は一つも読んだことがなく。。。

    ただ、今回の訪問で大好きになり、ぜひ作品を読みたいと思っています。



    さて、高い塀をこえると、突如現れる美しい庭園。

    これが バルザックがかつて住んでいた家に付属していた庭園です。

    ここからは、とても美しくエッフェル塔が見えます!

     

    中には感じのいいカフェなんかもあって、とても感じが良い場所です。

    天気の良い日には、テラスでお茶をしながらおしゃべりするなんていうのもおすすめです。

     

    バルザックがここに住んでいたのは、1840年から47年。

    彼は1799年に生まれ、1851年に亡くなっているので、かれがここに住んでいたのは、晩年にあたります。

     

    とにかく見栄っ張りだったらしく、服にもお金をかける。

    馬車は4頭立て。

    豪快にお金を使うために、いつも借金だらけだったそうです。

     

    それにもかかわらず、周りには大金持ちと思わせるような図太さがあり、彼はお城を所有しているなんて思われていたそうです。

    しかし、実際は、そのお城は友人のものだったりするわけで。

    なんとも憎めない人じゃないですか!

    器の大きさを感じます。

     

    借金取りから逃れるためにも、このような目立たない家に住んでいたということなんですね。

    この家には、裏口があり、表玄関から借金取りが入ってきたら、裏口から逃げられるようになっていたそうです。

     

    パッシーがあるパリの16区は、今では超高級住宅街になっています。

    しかし、バルザックが住んでいた時代のパッシーは、まだパリではありませんでした。

    パッシーがパリに組み込まれるのは1860年のパリ大改造計画のとき。

     

    バルザックが住んでいた時は、ここは単なる田舎の家屋だったそうです。

    当時の家賃は、250フラン。

    今の価値にすると、25万円。

    結構するな、と思ったら、年間でした!

    彼が住んでいたのは、最上階のみで、その下には洗濯屋の女性が住んでいたそうですから、最下層の人が住む場所だったわけですね。



    さて、家に入ると、バルザックのことをいろいろと知ることができるのですが、驚くのは、これ。

     

    壁一面に張られているのは、バルザックがどのようにして小説を書いていったかです。

     

    まずは手書きの原稿を、編集者に渡す。

    すぐにそれが印刷となって、バルザックの手元に戻ってきます。

     

    余白がすごい空いてますよね。

    これは彼が修正の書き込みができるようにするためです。

     

    修正したものがまた別の印刷になって上がってくる。

     

    そしてそれをまた直していく。

     

    この繰り返し。

     

    なんとこれを、11回も繰り返してるんですね。

    多きときは、20回も直すのだそうです。

     

    パソコンによって、文章を音声入力でかけるなんて、バルザックには想像もつかないかもしれません。

     

    これは、バルザックが使っていたコーヒーポット。

    コーヒーがなければ文章がかけないというほどに、彼はコーヒー中毒だったんです。

     

    当時コーヒーも嗜好品としてとても高かったものなので、こんなことにもお金をたくさん使っていたんでしょう。

     

    とにかく頭を覚まさせるために、ものすごく濃いコーヒーを飲んでいたそうです。

     

    バルザックの仕事のリズムも面白く、

    夕方6時に就寝。

    深夜0時に起床

    すぐに書き始めて、昼の12時までが仕事。

    休憩もせずに、社交界で豪遊。

    その後、夕方6時にまた寝る。

     

    夜型なのか、超朝型なのかわからない、変なスタイルですね。

    遊んで、仕事して、そして、残した作品を考えると、

    ただ、その量は超人的。

    驚くばかりです。

     

    こちらが彼の仕事場。

    この机は、彼が実際に「人間喜劇」を書いていた机だそうです。

     

    あらゆるところが穴だらけなんですよね。

    当時インクペンで書いていたバルザックは、インクが出なくなったり、アイディアに詰まったりしたら、ペンで机を引っ掻いていたのかもしれませんね。

     

    そしてこの部屋には、バルザックが描いた小説の全巻が置かれています。

    この黒いの全部ですよ!!

    本当にバルザックは、一つの世界を全部自分で作ってしまったというぐらいの量の文章を書いているんですね。

     

    彼のこの小説世界は、大聖堂に例えられることがあります。

    分析的な文章、哲学的な文章に続き、人間観察に基づく、19世紀のあらゆる年齢、あらゆる社会階級、あらゆる土地の人々の生態を事細かく書いていったようです。

     

    彼自身、自分の小説を「科学」と呼んで言います。

    あらゆる人間を観察し、分類し、その特徴を書き表していく。

    まるで、生物学者が、哺乳類、爬虫類、などと分類していくように。

    イヤー、すごい!

     

    そして次の部屋もっと驚きます。

    なんとここには彼の創造した登場人物たちのスタンプが展示されているんですが、バルザックが考え出した登場人物は、全部で2500人だそうです。

     

    フランス文学史の中で、バルザックが初めて考案したのは、ひとつの小説の中で出てきた登場人物が、他の小説にも登場するという手法。再登場する登場人物です。

     

    このアイディアのおかげで、個別の小説を越えて、小説と小説が結びつき、大きな宇宙を作り上げていくんです。

     

    このアイディアは、後の文学者たちにも大きな影響を与え、ゾラなんかが同じことをやっています。

     

    ある研究者が、バルザックの小説に出てくる人々の関連図をこの下の図にしています。

    その研究者によると、登場人物の人間関係に一切の矛盾がなかったそうです。

    なんという天才なんでしょうか。

     

    この家にくると、バルザックの色々な天才的な才能に驚嘆してしまいます。

    そしてバルザックすごい好きになってしまいました。

     

    バルザック是非読んでみたいと思います。日本語で読みたいな。

     

    バルザックの家

    火‐日

    10時から18時

    47, rue Raynouard75016 Paris

    +33 (0)1 55 74 41 80




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