マリーアントワネット、パリ最後の場所 みゅうパリ ブログ記事ページ

みゅうパリ ブログ

<< カテゴリ内の前のページ カテゴリ内の次のページ >>

    マリーアントワネット、パリ最後の場所


    2020-02-03

  • 14歳でオーストリア・ハプスブルグ家からフランス・ブルボン王朝へ嫁ぎ、37歳の若さでフランス革命の露と消えた、フランス王妃マリー・アントワネット。

    フランスの栄光の時代と混乱の時代の両方を生きた彼女は、フランスの歴史の中で最も有名で、また愛された人物のひとりです。

    名作『ベルサイユのばら』を通じてファンになった方も多いはず。

     

    では、ここで問題。

    マリー・アントワネットは、フランス革命時代にギロチンにかけられて処刑されていますが、さて、どこで処刑された?

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    答えは、コンコルド広場。

    フランス王のルイ16世もコンコルド広場で処刑されています。

     

    では、第2問。

    処刑されたのち、遺体はどこに埋葬された?

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    急に難しくなりました。処刑された遺体は、コンコルド広場からほど近い、マドレーヌ墓地に埋葬されました。マドレーヌ墓地は現在はなく、ルイ16世、マリーアントワネットが埋葬されたであろう場所には、現在贖罪礼拝堂という、ルイ16世、マリーアントワネットを偲ぶ建物が建てられております。

    革命政府、そしてナポレオンによる第一帝政を経て、復古王政となった時、フランス王ルイ18世は、王家の記憶を取り戻すため、マドレーヌ墓地に埋葬されたルイ16世とマリー・アントワネットの遺骸を見つけだし、フランス王家の霊廟であるサン・ドニ大聖堂の地下室の納骨堂に移しました。その後、王と王妃が埋葬されたその場所の上に建てられたのが、この贖罪礼拝堂です。

    パリの中心地、コンコルド広場から徒歩数分の場所にある贖罪礼拝堂。きゅうにひっそりとした雰囲気に場所になります。

    まわりは公園になっていて、贖罪礼拝堂の部分だけが入場有料になっています。

    入口には、ルイ16世とマリーアントワネットのパネルが。

    この礼拝堂は、ルイ16世とマリーアントワネットが21年間眠った場所の上に立てられています、との看板。

    玄関を入って、階段を行くと、中庭のような場所に出て、その後、礼拝堂が見えてきます。

    格子天井の美しいドームが重ねられた、色とりどりの大理石のタイルで飾られた礼拝堂。

     

     

    天使に支えられたルイ16世の彫刻と、

     

     

    十字架をもったマリアに伴われたマリーアントワネットの彫刻があります。

    革命によって、殉死したのだ、という象徴になっています。

     

    彫刻の下に刻まれているのは、遺書。

    さらに、地下礼拝堂に降りることができ、

    そこにあるのは、緑の大理石で作られた祭壇でした。

     

    ちょうどこの位置にルイ16世の遺体が埋められていたのだそうです。

     

    渡り廊下を進んで、見学終了。

    15分もかからない小さな建物ですが、心をつかまれるような強い印象を与えます。

    お土産屋さんには、もちろんマリーアントワネット関連がたくさん。

    マリーアントワネットファンの方、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

    Chapelle expiatoire
    29 Rue Pasquier, 75008 Paris


<< カテゴリ内の前のページ ブログ記事一覧へ カテゴリ内の次のページ >>

最新記事