皇帝ナポレオン1世が築いたペール・ラシェーズ墓地 みゅうパリ ブログ記事ページ

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    皇帝ナポレオン1世が築いたペール・ラシェーズ墓地


    2018-09-19

  • 日本ではあまり習慣がないかもしれませんが、フランスでは墓地はとても身近でその地域に密着したもの。お墓参り感覚ではなく、木々が多くて心地いいからお天気のいい日に散歩したり、著名人のお墓を見に行ってみたり。

     

    パリにはペール・ラシェーズ墓地、モンマルトル墓地、モンパルナス墓地など、大きな墓地がありますが、いずれも数多くの著名人が眠っており、特に一番大きいペール・ラシェーズ墓地は専門ガイドと巡る見学ツアーがあるほどの観光スポットとなっています。

     

    パリ東部20区にあるパリ最大の墓地、ペール・ラシェーズ墓地には、多くの著名人が眠っています。歌手エディット・ピアフ、作曲家ショパン、女優サラ・ベルナール、モディリアーニ、バルザック、オスカー・ワイルド、ピサロ、ロッシーニ、ドラクロワなどなどなど、、、でももともとこのペール・ラシェーズ墓地、あのフランス皇帝ナポレオン1世の命で整備、完備された伝統ある墓地なんです。

     

    ペール・ラシェーズ(Père Lachaise)というのは、太陽王ルイ14世の聴罪司祭の名前からきています。ペール・ラシェーズ墓地が造られたのは1804年。ナポレオン1世が皇帝に即位した年ですね。ナポレオンが早急にもペール・ラシェーズに墓地を作りたかった理由は大きく3つ。

    1 パリの墓地不足と衛生的な問題
    パリにはかつて現シャトレ地区に墓地がありましたが、そこはもう埋葬する土地がなく、パリ市民にとっての墓地が不足していました。かつてのカタコンブに見られるように、亡骸はただ埋めるだけ。シャトレ墓地付近では慢性的な悪臭公害に悩まされていたため、パリ中心地から離れた地区に墓地を新設する必要がありました。

    2 聖職者への権力誇示
    フランス革命前、墓地といえば教会に付随するもの。限られた信者しか墓地に埋葬される権利がなかった時代でしたが、ナポレオン1世は宗教、人種に関らず皆平等に埋葬する権利を持つと宣言しました。聖職者へ自分の権力を誇示するため、墓地を教会から分離したのです。

    3 個の確立

    いかなる有力な政治家、権力者たちも、一度なくなってしまえば名のない死体として放置されていた時代。死んだ後もその名を後世に残したいと考えた金持ちたちが、名前入りの墓を望み、死体にも個を確立した始まりがこのペール・ラシェーズ墓地でした。

     

     

     

    墓地といっても、あの皇帝ナポレオン1世が名だたる建築技師、彫刻家たちに命じて造成させた由緒ある墓地。敷地内には祈りをささげるシャペルまであります。美術館のような装飾、緻密な造園設計、たえず手入れされた美しい草花がみずみずしく咲いているとても素晴らしい公園でもあります。 

     

     

    芸術家の眠る町パリ

    11月1日はお墓参りの日

     

    ペール・ラシェーズ墓地 Cimetière du Père-Lachaise

     

    (城)


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