【マドリッド】タラマンカ・デ・ハラマで黄葉を堪能してきました~! みゅうマドリッド みゅうバルセロナ ブログ記事ページ

みゅうマドリッド みゅうバルセロナ ブログ

<< 前のページ 次のページ >>

    【マドリッド】タラマンカ・デ・ハラマで黄葉を堪能してきました~!


    2021-11-22

  • 11月半ば、マドリッドから北へ車で小一時間、ハラマ川河畔にある小さな村、タラマンカ・デ・ハラマへ行ってきました。

    スペインを旅するといつも思うのですが、どんな小さな村であっても、必ず、そこには幾重にも積もった歴史の跡が見えてきます。古代ローマ、西ゴート王国、イスラム侵攻、レコンキスタ、強大なカトリック教ヒエラルキー支配、市民戦争などなど。

     

    今回、まずは村の北西のはずれ、ハラマ川にかかる橋、プエンテ・ロマーノへ。

    8世紀に北アフリカからイスラム勢力が侵攻し、あっという間に北に追いやられたキリスト教徒、レコンキスタで少しずつ南下しつつあった9世紀、スペイン半島北部のキリスト教勢力と半島南部イスラム勢力の衝突した地域が「ラ・マルカ・メディア」と呼ばれ、マドリッドもその中に位置していました。

     

    現在マドリッド州のある地域は、4世紀に渡ってイスラム統治下にありました。イスラム勢は、グアダラマ山脈やグレドス山脈の麓に軍隊を前進させるための道路を造り、山から流れ出す川には橋を架け、要塞や監視塔を次々と建造しました。

     

    マドリッド北部のこの村は、後ウマイヤ朝アル・アンダルスの辺境地域に位置し、防衛上の要地でした。タラマンカ・デ・ハラマという名前は「ハラマ川の岸辺」という意味を持つ一方、ハラマという言葉は北アフリカから侵攻してきたイスラム教徒の言葉で「国境の川」を意味するそうです。

    現在のプエンテ・ロマーノは、古代ローマ時代に造られた橋の遺跡として残っていた橋げたを土台にして、9世紀にイスラム教徒が軍事用に造ったものです。

     

    11世紀に、勇猛王と呼ばれたカスティーリャ王国のアルフォンソ6世が南下してイスラム勢力からトレドを奪回し、マドリッド一帯もその統治下に入ると、イスラムの軍事要所だったこの橋は、カスティーリャ王国内の移動用となります。国王からこの地を授けられたトレド司教は橋を整備して通行税を設け、大きな富を築いたと言われています。

     

     

    現在は国の文化財に指定されているこの橋の周りにはポプラ林が広がっています。私たちが訪れたのは11月半ば、ポプラの黄色が青空に映えて素晴らしい景色を見せてくれました。

     

    川岸から村に上る途中に「ウセダ門」や「ラ・トストナ門」と呼ばれる城壁跡があります。いずれも起源は西ゴート時代と言われ、現在目にするものはイスラム統治下に軍事目的で増強された城壁の跡と言われています。「ラ・トストナ門」は今も現役で、車や人がその下を通っています。

     

    ウセダ門跡

     

    ラ・トストナ門

     

    また、ラ・カルトゥーハの北面部分にあるイスラム時代の城壁跡は近年、修復工事が行われ、ずいぶん綺麗になっています。修復中に、西ゴート時代の遺跡と思われる装飾が表れ、2カ所に見られるとのことで、私たちも探しましたが、ひとつしか見つけられませんでした。

     

    村の中心は「憲法広場」で、そこにはAbside de los Milagros(奇跡の後陣)があり、モラビートという愛称で呼ばれていますが、これは13世紀に造られたロマネスク・ムデハール様式教会の後陣部分だけが奇跡的に残っているものです。

     

    少し進むと、サン・ファン・バウティスタ教会、まず目に入るのが12世紀~13世紀にかけて造られたロマネスク様式の後陣部分。それ以外の部分は16世紀に解体され、ルネッサンス様式に造りかえられました。

     

    イスラム統治の辺境領の要地として栄えたこの街には、キリスト教徒に奪回された後も、モリスコ(この地に残りキリスト教に改宗したムーア人)が活動していましたが、16世紀のモリスコ追放令によって彼らが追い出されると、経済活動は一挙に衰え、細々と農業だけが営まれる村になってしまいました。

     

    17世紀、スペインではカルトゥーハと呼ばれるカルトジオ会のエル・パウラール修道院が、穀物を始めとする食料の保存と、ワインを醸造・保存するための広大な施設をこの村に造り、「ラ・カルトゥーハ」と呼ばれるようになります。19世紀前半に出された永代所有財産解放令によってこの修道院の力が一挙に小さくなると、この「ラ・カルトゥーハ」も使われなくなり、荒れて行きます。その後、1960年代から映画の撮影に使われるようになり、現在ではテレビの時代劇ドラマや映画のロケ地として知られています。

     

    最後に、村の南側、ハラマ川の少し下流に架かる吊り橋へ。

    いろんなトーンに色付いた黄葉が青空に映える様を見ながら、たどり着いた吊り橋、結構揺れるし、歩く度に鉄板がガンガンと鳴り、できれば一人ずつ渡りたい橋ですが、川面に映る樹々の黄葉と、渡り終えた先に広がる風景は圧巻でした。

     

     

    実際に撮ってきた動画がこちらです、よろしければご覧ください。

     

    こんな小さな村の散策でしたが、思いがけず素晴らしい黄葉を堪能できました!皆さんも、秋に訪れてみてはいかがですか。

     

    Lucymama


<< 前のページ ブログ記事一覧へ 次のページ >>

最新記事