(ルーブル美術館+ヴェルサイユ宮殿+フォンテーヌブロー城)÷5=シャンティイ城 みゅうパリ ブログ記事ページ

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    (ルーブル美術館+ヴェルサイユ宮殿+フォンテーヌブロー城)÷5=シャンティイ城


    2014-05-17

  • シャンティイ城は、フランスのピカルディー地方に位置する城である。

    写真を見ても分かるように、ヴェルサイユ宮殿のように、左右対称ではない。ヴェルサイユ宮殿は、もともとの沼地を排水し、更地の上に一から宮殿を作ったので左右対称だが、シャンティイ城は中世の時代の要塞を建物の基礎として使い、16世紀ルネサンス様式の建築が付け加えられ、さらに19世紀に増築されたので、さまざまな時代の様式がまじった城になっている。各々の時代の息吹を思わせる建築が互いに組み合わさってできているところは、フォンテーヌブロー城に似ている。

    ちなみに、写真の左側の丸い塔の基礎は、中世の要塞起源である。かつては、城の四方にこのような見張りの塔を建て、敵の来襲に備えていた。塔が円いのは、360度見渡せるように、そして敵が隠れることができるような死角をなくすためである。

    一方右前方の建築は、左右対称を厳密に守っているルネサンス様式である。その後ろのとんがった屋根を持った建物は、城に付属した教会だ。かつて宗教が日常生活の一部だった時代には、領主たちはこのように自分たち専用のチャペルを持っていた。このチャペル内には、歴代の領主の心臓がおさめされている。

    7月王政時代のフランス王、ルイ・フィリップの子供であったアンリ・オルレアン、オマール公は、この城を相続した時に、自らの絵画、希少本コレクションを城に移動させた。そのコレクションは、彼の死後フランス国家に寄付され、今では城内で彼のコレクションを見ることができる。

    絵画のギャラリーは、壁一面に絵画が飾られていて、圧巻である。時代も、画家の出身国も、美術様式も区分されることなく、絵画が並列されている。この展示は、オマール公が決めた配置であり、その配置は今でも一切変えられていない。オマール公はこの配置を変えてはならないと遺言の中で書いているという。時代順、美術様式ごとという現在の美術館展示方法になれていると、この配列は異様に見えるかもしれない。しかし、19世紀においては、絵画を所せましと展示するほうがむしろ普通であり、それら絵画をどのように配列するかは、その絵の所有者の個性を示す手段だった。

    コレクションの中には、ラファエロの絵が三枚、それ以外にもイタリアルネサンスの名品、17世紀のオランダ絵画、ニコラ・プッサン、ドラクロア、アングルなどを見ることができる。コレクションの質から言って、プチ・ルーブルと言っても過言ではない。

    城とは、建築で完結するものではない。城に欠かせないのは庭園である。シャンティイ城の庭園は、ヴェルサイユ宮殿の庭園を造ったル・ノートルによって作られた。人間の力が自然を支配するということを視覚的に示すために、庭園は幾何学に作られ、そこに生える木々でさえ、立方体に刈り取られている。

    あまりにも人工的、洗練された宮廷様式の反動として、マリー・アントワネットの時代には、あえて田舎風の村里が流行した。ヴェルサイユ宮殿のマリー・アントワネットの村里は有名だが、シャンティイ城にも小さな村里がある。

    シャンティイ城は、小さいながらも、フォンテーヌブロー城、ルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿のそれぞれの何かを思わせる城だ。

     

    最後に一つ。フランス語で生クリーム(ホイップクリーム)のことを何というかご存じだろうか。クリーム・シャンティイという。それは、この生クリームがここでの宮廷料理のために発明されたものだからだ。シャンティイ城では、元祖クリーム・シャンティイの作り方とそれを使ったお料理教室に参加することができる。また、庭園内の建物「メゾン・ド・シルヴィー」または「ジュ・ド・ポーム」では結婚式をするための大広間もあり、いまでも予約可能である。

     

    シャンティイ城は、パリ北駅から、TER〈列車)で30分ほど。

    Chantilly-Gouvieux下車。

    駅からは、城までバスが出ている。しかし、週末、休日は本数がかぎられるので、、タクシーか、徒歩(やく25分ほど)。駅から城までの道も、森の中の小道を通れば、ハイキング気分だ。

    (渦)

     

     

     

     


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