【マドリッド】エル・カプリチョ庭園、その名の通り「大いなる気まぐれ!」 みゅうマドリッド みゅうバルセロナ ブログ記事ページ

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    【マドリッド】エル・カプリチョ庭園、その名の通り「大いなる気まぐれ!」


    2021-06-30

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    マドリッド市の東約10キロ、空港に近いアラメダ・デ・オスーナ地区にあるエル・カプリチョ庭園に行ってきました。

    ここはかつて、オスーナ公爵家が所有した別邸、社交界の交流の場だったところ。

    現在はマドリッド市が所有する公園になっており、土日祭日のみ開園、無料で一般公開されています。

     

    オスーナ公爵家の紋章

     

    18世紀半ばベナベンテ伯公爵のタイトルを持って生まれたマリア・ホセファ・ピメンテル・テジェス=ヒロンは第9代オスーナ公爵と結婚、当時フランス啓蒙思想の影響を受けたスペイン上流知識人の中でも際立って博識で聡明な女性だったそうで、アルバ公爵夫人の友人でありライバルでした。

    スペインを代表する画家ゴヤを支援したのがオスーナ公爵夫妻でした。

     

    ゴヤが描いたオスーナ公爵一家

     

    このオスーナ公爵夫人が、マドリッド郊外に広い土地を購入し、友人知人を招いて楽しむための総合レクリエーション施設の建設を計画、フランス宮廷につかえた建築家にデザインを依頼して造ったのがこのエル・カプリチョ庭園。1787年から造り始め、完成したのは彼女が亡くなった5年後の1839年。現存する、マドリッドで唯一のロマン主義庭園となっています。

     

    公園全体の地図

    庭園の広さは14ヘクタール、東京ドームの約3倍、敷地内には様々な庭園や多くの彫像はもちろんのこと、公爵夫人の希望で川、滝、湖、橋、船着き場、宮殿、舞踏サロン、迷路、遊園地、ミニチュア要塞、隠者の庵、老婆の家などが造られています。

     

    ここが入り口

     

     

    なんと、敷地内に闘牛場もあります。

      

    入り口を入るとすぐに見えてくる、背中合わせの柱像(決闘の柱)

     

    当時はスペインにもフリーメイソンが現れ始めていた頃。

    オスーナ公爵夫妻がそうだったという証拠はないようですが、親交のあった人たちの中にフリーメイソンが多くいたことから、エル・カプリチョ庭園のあちこちにもフリーメイソンのシンボルを発見することができるのだとか。

     

    エンペラー広場のエクセドラ(後に公爵夫人の孫が、夫人に捧げて造ったもの、エクセドラ中央に夫人の胸像)

     

     

    オスーナ公爵家の別邸宮殿とドルフィンの噴水

     

     

    バッカスの小神殿、現在は記念撮影に使われるフォトジェニックな場所。

     

     

    蜂の家。

    と言われても一体何?という感じですが、この建物の裏側は蜂の出入りするたくさんの穴が開いた壁になっていて、蜂たちが一生懸命に巣を造っているスペースがあり、その様子をガラス越しにこの建物の中にある優雅なお部屋から貴婦人たちが眺めることができた、という場所。好奇心旺盛なオスーナ公爵夫人のアイデアから生まれたもの。

     

    柱の上の像、一見すると竪琴あるいはバグパイプを奏でる人のように見えるのですが・・・

     

    実は・・・「我が子を喰らうサトゥルヌス」。ゴヤが晩年に描いた黒い絵にも、このモチーフがありますが、ゴヤはこのオスーナ公爵別邸を訪れ、この像を見ていたのかも知れません。

     

     

    ミニチュアの砦。

    公爵家の子供たちや、この別邸に招かれた貴族の子供たちが戦争ごっこをして遊べるように築かれた、ミニサイズの要塞。林の中にはミニサイズの弾薬庫まであります。

     

     

    遊園地。当時はシーソー、ブランコ、回転遊具などもあったようです。

     

    葦の家(船着き場)

     

     葦の家にダビデの星、果たしてシンボルか?

     

     水路に架かっているのは、スペイン最古の鉄製の橋。

     

     緑あふれる湖

     

     アジサイが満開

     

     

    隠者の庵。

    ロマン主義庭園にふさわしい、ちょっとミステリアスな雰囲気を出すために公爵夫人が造らせたという庵。マドリッドの街から浮浪者を連れて来てここに住まわせたとか。右下にある3角形の石の下にその隠者が葬られていて、夜な夜なその霊が彷徨う、という都市伝説があるとか、ないとか。

     

    庵の内部を除くとこんな感じ。

     

     

    この庭園の一番大事な場所、ご先祖様、第3代オスーナ公爵に捧げられたモニュメント。

    フェリペ3世の時代、オスマントルコとの戦などで手柄をたてた第3代オスーナ公爵、次の王、フェリペ4世の時代には政敵、オリバレス伯公爵によって、王に対する謀反の濡れ衣を着せられ、失意のうちに獄死。

    祖先の汚名をそそぎ、名誉を回復するためにこのモニュメントが造られたのだとか。

     

    水際に造られた舞踏サロン

     

    舞踏会だけでなく、演劇なども行われた場所。

     

    舞踏サロンの前の花壇

     

     

     老婆の家。

    当時、この庭園を訪れたセレブたちが、農民の暮らしを間近で見られるようにと、公爵夫人の希望で実際に一家族の農民をここに住まわせ、家の周りの畑で農作物を作らせたのだそうです。

     

     

    緑あふれる美しいロマン主義庭園を歩きながら、18世紀末に啓蒙思想の知識人だったオスーナ公爵夫人が目指したものは、なんだったんだろう・・・と考えさせられました。

    この庭園の名前「エル・カプリチョ」の意味は「気まぐれ」、まさにセレブの気まぐれの産物だったのかも。

     

     

    去年はコロナのせいでたくさんの結婚式やコムニョン(初聖体拝領)などが延期されましたが、今年は例年通り、6月にこれらのイベントが行われているようで、庭園内でも記念撮影をしている光景があちこちで見受けられました。

     

    男の子のコムニョン衣装は海軍の制服が人気

     

     女の子はやはりウェディングドレスのような白いドレス

     

     

     のどかな初夏のエル・カプリチョ庭園でした。

    Lucymama

     


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