ドイツ 総統地下壕跡の観光・見所について

総統地下壕跡

総統地下壕跡

ドイツ北東部に位置する、首都ベルリンには、さまざまな芸術に触れることができる施設や、美しい装飾や建築を楽しむことができる宮殿や聖堂など、多くの観光地があります。そして、そのような観光地の一つとして、ドイツの歴史を語るのに欠かすことができない歴史的重要人物、アドルフ・ヒトラーに関わる歴史的スポット、総統地下壕跡があります。

ナチスと呼ばれるナチ党の指導者ヒトラーの最期の場所となった、総統地下壕跡は、ナチスの観念を信仰し続けているネオナチの聖地となるのではという懸念により、長い間、市民の目から遠ざけるように非公開とされてきましたが、2006年に、地下壕がある場所とされる総統地下壕跡の地上に、その概要を示す看板が立てられました。
ドイツで独裁的な権力を握っていたヒトラーが、戦争の激しい空襲から身を守るために、お気に入りの建築家であり、ヒトラーと非常に親しい関係にあったとされるアルベルト・シュペーアに、地下壕の造りを強化させて、使用していたもので、ヒトラーがナチスのさまざまな活動の指揮をとる場所として存在していた場所です。

見どころ

ドイツの歴史を今も伝える、ベルリンの歴史的観光地の一つ、総統地下壕跡では、内部の見取り図などが記載された看板が立っていて、その内容はベルリンの歴史を知るための観光地として重要な見どころの一つとなっています。
地下壕は、中央官庁が並び、かつてのナチス政権の中心となっていたヴェイルヘルムエリアにある旧総統官邸の地下にあり、総統地下壕跡の看板も旧総統官邸の近くの広場に立っています。看板のある広場は、周辺に何もない穏やかな空間となっていて、その歴史の経過を感じさせる場所となっています。
看板には、上下2階、大きく2つのブロックに分けて建てられた総統地下壕跡について、当初造られた地下壕の様子、そしてその後、建築家シュペーアにより補強された地下壕の造りが、それぞれ記されています。看板に描かれた地下壕内図で見られる壁の厚さは、コンクリート2.2m、さらに、天井も2.8mの厚さを持っていたとされていて、それらの壁に覆われたおよそ30もの部屋が地下壕内できれいに区画されています。看板には、主要な部屋の案内も記されていて、ヒトラーがその最期の瞬間を過ごし、自らその命を絶ったとされる部屋の位置なども記されているなど、感慨深い資料の数々を目にすることができます。

歴史的背景を想像しながら、看板に描かれた地下壕図を見ると、当時の様子を思い浮かべることもでき、また、地下壕の存在を唯一証明するこの貴重な資料をみることができる総統地下壕跡は、必見のスポットとなっています。ベルリンの壁、ホロコーストの記念碑などとともに、ドイツの激動の歴史を知ることができる貴重な観光地の一つとして、現在は、ドイツ国民をはじめ、海外からもさまざまな人たちがこの地を訪れています。