イタリア オスティア・アンティカの観光・見所について

オスティア・アンティカ

オスティア・アンティカ

イタリアのラツィオ州ローマ市にあるオスティア地区にオスティア・アンティカという町があります。この町はローマ南西に位置するオスティア海岸そばにあり、古代ローマ時代の港湾都市遺跡として有名なところです。テヴェレ川河口部にあることからラテン語で「os=河口・tia=テヴェレ」という名前がつけられました。ちなみに当時の地名は「オスティア」で、現在の地名にあるアンティカ(antica)は古代という意味を含んでいます。さかのぼること紀元前4世紀にオスティアの支配を強めるため、また他国からの侵略を防ぐためにローマ海軍はオスティアを主要拠点としました。オスティアは軍事的機能を果たし、その後は商業的機能も重視されるようになり紀元前2世紀には都市として最も栄えたのですが、河川による堆積土で港が機能しなくなると徐々に町は衰退していきました。ローマ帝国末期になるとオスティアの町はテヴェレ川の氾濫で土砂に埋もれ長い月日が経ち、ようやく19世紀頃から発掘が開始されることとなりました。土砂の中で永き眠りについていたオスティアの町は保存状態が良く、昔の風景を今に見ることができます。

オスティア・アンティカ1 オスティア・アンティカ2

見どころ

イタリアの都市ローマに一番最初に港が建設されたという古代オスティア(現在のオスティア・アンティカ)は河川の出入りを統括するために城塞都市として誕生しました。紀元前1世紀にオスティアを囲んでいた最初の城壁は塔や、ローマ門・マリーナ門・ラウレンティーナ門など3つの通行門のある新しい城壁に変わりました。その中のローマ門は現在も残っており、そこをくぐるとデクマーノ・マッシモ通りがあります。これは長さ2キロにも及ぶ大通りで、大きな敷石の石畳となっています。この大通り沿いには古代オスティアの重要な遺構群がいくつもあります。その主な遺構として、「ネプチューンの浴場」、「消防士の宿舎」、「劇場」、「同業組合広場」、「円形神殿」などがあります。オスティアの公共浴場の一つであった「ネプチューンの浴場」と、「消防士の宿舎」はハドリヌアス帝によるものです。そして、「劇場」はローマの将軍アグリッパによって建てられたもので、2世紀末には3000席あった劇場席を4000席まで増設したと言われています。またこの劇場は演目の幕間に観客たちが利用できるようにと、「同業組合広場」を通路やオーケストラ側に隣接して造られたことでも有名です。「円形神殿」は当時の皇帝たちの信仰の場として使われていました。その他にもオスティア最大の商業施設であった「大穀物貯蔵庫」や3世紀の大衆食堂とされる「居酒屋」、4世紀頃の富裕層の住宅であった「キューピッドとプシケの家」など注目すべき遺構は多くあります。また帝政時代の石棺や彫刻など貴重な出土品が収蔵されている「オスティア遺跡博物館」もあります。ローマの中心街から離れ人通りもそこまで多くはありません。ゆっくりと散策しながら古代オスティア人の生活を垣間見ることができます。