【フィレンツェ観光】ウッフィツイ美術館「冷たい美人の肖像画・ルクレツィア・パンチャーティキ」 みゅうローマ みゅうベネチア ブログ記事ページ

みゅうローマ みゅうベネチア ブログ

<< 前のページ 次のページ >>

    【フィレンツェ観光】ウッフィツイ美術館「冷たい美人の肖像画・ルクレツィア・パンチャーティキ」


    2021-01-29

  • 今日はウッフィツィ美術館にある、冷たい美人とも言われる肖像画をご案内したいと思います。

     

     

    こちらはブロンズィーノが描いた、ルクレツィア・パンチャーティキの肖像画です。

     

    ちょっと舌を噛みそうな名前ですね。

     

    ブロンズィーノは当時の貴族で、またメディチ家のお抱え肖像画家でもありました。

    彼は人物像とその人物の感情を注意深く観察し描くのが特徴です。

     

    このパンチャーティキ家は彼の重要なパトロンでした。

    左側には彼女の夫であるバルトロメオ.・パンチャーティキの肖像画もあります。

     

     

    1541年頃、バルトロメオがフィレンツェのアカデミーウミディの会員になったのを記念して描かれのではないかと言われいます。

     

    1704年に彼の子孫によって、ウッフィツィ美術館に譲渡されています。

     

    このルクレツィアは、実はコジモ一世が大公のなる前に愛人だったそうです。

     

     

    しかしコジモ一世にはトスカーナのすべての国を治める野心があった為、政略的なことも考えた上で、この美術館の次の部屋に肖像画があるエレオノーラ・ダ・ トレドと結婚してしまいます。

     

     

    ちなみに彼女も美人です。

     

    その後、夫となるバルトロメオに出会います。

    バルトロメオはピストイアの旧家出身で長年リオンにも住み、フィレンツェ大使の任務も努めていました。

     

    ルクレツィアは木工細工の椅子に座っていて、素晴らしい赤色の洋服を着ています。

    袖は上が膨らんでいて、下は濃い赤色でリボンがついていますが、これは当時の流行です。

     

    特に袖の下の方はリボン緩めて取り外しができて、機会に合わせて違う袖を付けることが出来ました。

    当時の他の肖像画にもよくでてくるファッションです。 

     

    襟は四角で、金糸の入った透明な生地で飾られています。

    背景が黒い為、彼女の姿がはっきり見え、彼女の白い顔が浮かび上がるように見えます。

     

    宝石も綺麗で、髪には真珠のついた髪止めをしていて、左手の長い指は椅子の上をしっかり握り、宝石のついた指輪をしています。

     

    右手には小さい本をもっていますが、これは彼女の知性を表しています。

     

    ベルトにも沢山の宝石が描かれており、首には真珠のネックレスも描かれています。

    もう一つシンプルな金の鎖のネックレスをしていますが、そこには小さなプレートが描かれており、フランス語で"amour dure sans fin" (終わりのない愛)という文字が刻まれています。

     

    おそらくこれは、夫婦が幸せに過ごしていたことを示しているのでは無いかと言われています。

     

    500年たった今でも、幸せな愛情を持ち続けているかのように、2枚の肖像画が近くに飾れています。



    とても美しい表情ですが、美しすぎて私達は彼女の貴族性の中に入れないという感じですね。

     

    見ている人からずいぶんかけ離れて、私達の住んでいる世界と貴族達の世界との隔絶みたいのが感じられます。

     

    私達の方を真っ直ぐ、冷たく、感情なしに見つめています。

     

    彼女の肖像画は理想の傑作でありますが、美しいけれどとても冷たさがあので、ヴァザーリは

     

    「ブロンズィーノが、彼と彼の妻を自然に描き、まるで生きているようだが、魂に欠ける。」

     

    と言っています。

     

    ルクレツィアは美しいが悲しみに沈み、遠くを見ているようで、やはりそれはコジモ一世との関係を絶たなければならなかったからなのでは、とつい思ってしまいます。

     

    ちなみに絵を描いたブロンズイーノですが、1574年に君主が交代すると彼に対する年金支給が停止され、ついに宮廷の首席画家の地位は名実ともにヴァザーリのものとなります。

     

    ただ彼の親しみやすく穏やかな人柄は多くの人に愛され、若い画家達を熱心に指導したこともあって、彼の葬式にはフィレンツェの芸術家で参加しないものはいなかったと伝えられています。


<< 前のページ ブログ記事一覧へ 次のページ >>

最新記事